「2歳で実母と、9歳で実父と生き別れ、伯父夫妻の家に居候し、20歳を迎えたときに伯父夫妻の養子になりました。『父の妻』としてプライドが高かった母。血の繋がらない私は、要らぬ嫉妬を買わぬよう、気を遣っていました。父は生前、私にある言葉を残したのですが...」
■父が亡くなった連絡もくれなかった母
両親を亡くした私を育ててくれた母は、とても負けず嫌いな性格でした。
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特に、「父の妻」としてのプライドは高く、父の姉妹や孫娘が父の車の助手席に乗ることも許しませんでした。
私は実の娘ではなく母と血のつながりが無いので、要らぬ嫉妬をされないように気を遣っていました。
父は肺癌を患い、そんな母を残して昨年70代半ばで亡くなってしまいました。
父が入退院を繰り返したときも、亡くなったときも、母は私に連絡をくれませんでした。
兄のお嫁さんが逐一連絡をくれたので、その知らせで駆けつけて、父が食べられそうなものを持参したり、声をかけたりしました。
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母は「癌が頭にも転移してるから、もう言ってることがおかしいのよ」と言っていましたが、私が父と話している限りでは、そういう印象を受けませんでした。
ある日、父が休んでいる傍で、兄の子ども達と私が将来一緒にやりたい仕事の話をしていると、父が私を呼んでこう言いました。
「こっそり貯めていたお金が○円ほどある。そのうち、6分の1をお前が受け取る権利があるから、○円くらいはお前のものになる。それを頭金にして、好きなことを頑張りなさい」。
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私は両親の言う通りの進路を選んで来たので、父が最期に「好きなことを頑張りなさい」と言ってくれたことが、とても嬉しかったです。
父と私が話している様子を見ていた母が、「何言ってるかわからなかったでしょ」と私に言いましたが、「結構しっかりと具体的な話をしていたよ」と言っておきました。
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