「エンジニア養成学校を自主退学した後、自室に引きこもってしまった次男。そんな次男に対し、夫は大学進学を迫り、厳しい態度で接します。母である私は見守るしかありません。そんななか、次男がようやく一歩を踏み出したのです」
■次男がようやく見つけた道とは...
規則正しい生活をするために、時間がきたので寝かせつけようとした私に対し「いつもお母さんはお母さんのやりたいようにやっている!」と口を尖らせて怒ったことがあります。
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「僕には僕のやり方がある!」
それが間違っているかいないかというより、随分と小さい頃から自分の意見や意思を明確に持った子でした。
大人になってもそういう基本的な部分は何も変わりません。
大学だって、自分が勉強したいと思うことがあれば行く努力をするかもしれないけれど、それもないのにただ大学に行けと言われても努力はできないと言ったのです。
大学に行く意味を感じないとも。
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そんな彼に対し、私はただ見守ることしかできませんでした。
そんななかで彼は彼なりに考え、20歳の時に自分のやりたかったバンド活動も少しさせてくれるライブハウスで臨時の職を得て、とりあえずは仕事を始めることにしました。
ライブハウスではたくさんの出会いがあり、多くの人に育てられる形で彼は少しずつ自分を取り戻していきました。
そして働きながら自分の生きる道を探し、25歳の春に小さな会社ですが正社員の職を得て家を出ました。
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自分のやりたかった音楽系の仕事だそうです。
ホトトギスも鳴くまで待つのが私なら、殺してしまうのが夫。
私が甘やかすから彼がダメになったと何度夫に言われたことでしょう。
でも、どこがダメなの?
千尋の谷に突き落としても、這い上がってくるだけの強い意志と元気がなければ沈んでいくだけ。
まわりで何を言っても、自分から動きださないと何も始まらない。
次男に限らず、息子が家に帰ってくるときはたいてい体も心もボロボロになっているとき。
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そうでなければ、夫同様に鉄砲玉ですから帰ってなんかきません。
自分で見つけた道が石ころだらけで茨がたくさん出ていたとしても、歩くと決めたら何があっても歩くのでしょう。
いつだって私は後ろからただ見守るだけ。
親ができることには限りがあります。彼には彼の人生がある。
次男は夫が望む学歴を得ることはなかったけれど、これでよかったのだと思っています。
※健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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