震災後の脳出血により認知症となり、実の子どものことまで忘れてしまった母親。そんな母を持つ女性が、戸惑いや葛藤を乗り越えながら、新たな関係性を築いていく姿を綴りました。「思い出せないなら、毎回初対面のつもりで会いに行けばいい」――変化を受け入れ、前に進む兄妹の温かな絆の形をお届けします。
私の母は、2011年の東日本大震災後に発症した病気の後遺症で、認知症になってしまいました。原因は脳出血。脳の中で大量の出血があったために、脳の一部が圧迫され死滅。そのため、記憶や思考力を失うこととなりました。
続きを読む
長い昏睡状態から目覚めると、母の状態はよくなっているかのように見えました。ですが、医師の話では「記憶を一部失っている恐れがあります」とのこと。「そんなばかな」と思いながら、車いすで病院の中を散歩してみたり、たくさん話しかけてみたりしました。その時の母は、右手に麻痺は残っているものの元気そうに見えました。ですが、私は次第にその異変に気付くことになっていったのです。
多少の会話はできているものの、突然母が変なことを言い出すのです。二人で天気の話をしていると、「あの鍵はどうしたの?」と言い出し、私が「鍵って何のこと?」と聞くと、「あの鍵よ、あそこにあった鍵」と言うのです。結局、鍵なんて何のことか分からないままでしたが、きっと、過去のどこかの時点で気にしていたことが言葉になっていたのでしょう。
続きを読む
その後も、私がお見舞いに行った時に「今日は何をやってたの?」と聞くと、母は病院で寝ているだけだったのに「今日は忙しくて忙しくて」と一言。それは、母が病気になる前によく口にしていた言葉でした。そして、さらに日数が過ぎていくと、母が家族を忘れていることに気付いたのでした。
それに気付いたのは、母が病院から施設に移ってからの話。私は「お母さん」と声をかけていましたが、母の態度は次第に変わっていったのです。母はいつもヘルパーさんにお世話になっていたので、母にとって一番近い存在がヘルパーさんになってしまったようです。できるだけ母に会いに行っていたつもりでしたが、母は私が部屋に入ると不機嫌な顔をするようになったのです。
続きを読む
「お母さん、私が誰だか分かる?」と聞くと、母は私のことが分からないようでした。母にとっては、私が頻繁に訪れることが苦痛だったのでしょう。知らない人が何度も部屋に来て、長時間話しかけてくるようなものですから。母の気持ちを考えると、私は悩みました。私を知らない人と思っている母の所に、もう行かない方がいいのだろうかと。
兄に相談してみると、兄も同じように忘れられているようでした。ですが、相談した結果、母が自分の子どもを忘れているのなら、毎回初対面のつもりで会いに行けばいいという結論に達しました。母が思い出せないのなら、こちらが合わせるしかありません。今でも「お母さん」とは呼んでいますが、母の気持ちを考えながら接していくことで、新しい親子関係を築いています。最近では、一緒にテレビを観ながらお話ができるようになりました。子どもの存在を忘れても、私たちは親子。これからもうまくやっていけそうです。
記事一覧に戻る