毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「直美への愛」について。あなたはどのように観ましたか?
田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』。第22週「明るい未来」は、直美(上坂樹里)が母になり、夫を失う一週だ。日清戦争が始まり、看護という仕事が国の都合のなかに置かれていく。そのなかで週を貫くのは、「名前」と「軍服のボタン」という小さなものである。
週は日清戦争の開戦から始まる。吾郎(甲斐翔真)の軍服のボタンは、いつもすぐにとれる。直美が文句を言いながら縫いつけても、しばらくするとまたとれている。夫婦のあいだで繰り返されてきた、たわいのないやりとりだ。
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そんななか、だるそうにしている直美に、りん(見上愛)がお月のものは来ているかと尋ねる。出産を経験した者の目である。だが吾郎から、これから遅くなることが増えそうだと先に言われた直美は、妊娠をなかなか言い出せない。
一方、そのころ広島陸軍予備病院にいる多江(生田絵梨花)から手紙が届く。外科病棟に運び込まれてくるのは、戦いで傷ついた兵士たちだ。多江たちが兵士の看護にあたっていると、周りの患者たちが「お安くないね」と茶化してくるらしい。患者の中には階級の高い者もいて、部下に「みだりに女と話してはならん」と命じ、多江には「女のくせに」と向かってくる。さらに、看護婦と患者のあいだに不適切な関係がある、という投書が地元の新聞社へ寄せられ、記事になってしまう。
病室の中に、軍隊の上下関係がそのまま持ち込まれている。看護の手順そのものが、女が男に近づく行為として読み替えられ、患者を診るための問診が、慎むべき私語にされてしまう。看護する側が患者から傷つけられる構図は、明治の病室に限った話ではないだろう。
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記事を知った捨松(多部未華子)は、私にもできることがある、忘れていた、私はファイターだ、と立ち上がる。慰問として広島の病院に入ると、居並ぶ患者たちに聞こえるように嫌みを言う。
「看護婦が親しげに話しかけると新聞に何を書かれるかわかりませんものね」
そのかたわらで、多江は患者に触れ「手が少し冷たいですね、脈もやや速いです」と告げる。多江が確かめたことを受けて、捨松は続ける。看護婦は患者を目で見て、手で触れ、話をして体調を観察するのだ、その仕事を妨げることは傷ついた兵の命を軽んじ、ひいてはこの国の国力そのものを落とすことになる、と。
「軍人は名誉を重んじると聞きます、昼夜の別なく患者のために手を動かし、額に汗して働く看護婦の名誉も尊重してください」
言葉を失った病室で、患者はようやく、ずっと悪寒がしていたと訴える。訴えられなかったのは我慢強さではなく、同じ病室にいる上官や仲間の目があったからだ。女に体を診られ、痛いと口にすることが、男として恥ずかしいとされていた。看護を妨げていたのは、患者どうしが見張り合う空気である。
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「1人でも多く助けられたらと思っただけだ」と言う多江に、捨松は英語で返す。それが看護なのだ、と。ナイチンゲールの言葉であり、多江たちが養成所で看護教師バーンズ(エマ・ハワード)から繰り返し聞かされたものである。病室を黙らせるために「国力」と「名誉」という軍の言葉を使った捨松が、多江には共通の教えの言葉で語りかける。捨松が病院へ来たのは、看護婦という仕事への理解を促すため。国力は、そのための説得材料だった。
一方、東京では「産みたいなと思って、(吾郎が戦地へ)行く前に」と直美が吾郎に告げていた。妻の妊娠に驚いた吾郎の第一声は、よかった、である。続けて「よかった、直美が嬉しそうで」。自分の子を持てる喜びより先に、直美が嬉しそうであることを喜ぶ。吾郎の一番はいつでも直美なのだと、この語順が示している。
吾郎は、働く直美の姿に惹かれて結婚した男である。結婚してからは、忙しい妻を支える側に回った。上機嫌に歌を歌いながら台所に立ち、仕事から帰る直美を待つ。妻が働き続けることを、当たり前として受け入れている。明治を舞台にした夫婦としても、朝ドラの夫の描き方としても新鮮だ。
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ある日、吾郎は、りんの娘である環の名の由来をりんに尋ねる。彼は、生まれてくる子の名前の候補をいくつもメモしているが、直美にはまだ話していない。直美にとって「名前」が特別なものだと知っているからだ。直美は母・文(内田慈)から名前すら与えられず「みなしご」として育っている。第17週で卯三郎(坂東彌十郎)は、文が直美に名前をつけなかった理由について、「自分で名をつけると愛着がわくから、子に名をつけなかったのだろう」と語った。そんな母から名をもらえなかった娘は、第18週、父親がわりの吉江(原田泰造)から「恵風看護婦会」という名を贈られている。
そんななか、吾郎の出征の日が近づいていた。吾郎は「子どもの名前を準備しておいたほうがよさそうだ」と切り出す。直美に「そんなに優しくて戦えるのか」と問われると、戦えるよ、軍人だから、お国のために、直美とその子のために戦える、と返す吾郎。第21週で、お国のためにという言葉を直美が否定し、吾郎がたしなめた場面の続きである。そして直美が漏らす。私、1人でこの子を産むの。1人にしないと言ってくれたから結婚した、吾郎さんと一緒に母親になるつもりだった。
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1人でいられなくなった直美は、贅沢でも弱くなったわけでもない。泣く直美を吾郎が抱きしめ、互いに謝る。帰ってこなかったら許さないから、すっごく怒るから。吾郎は笑ってみせる。
手柄はいらない、出世もしなくていい、私が働く。そう言う直美に、吾郎は異を唱えない。第21週で、出征したら炊事班長をやりたいと無邪気に語っていた男である。望んでいるのは戦場での手柄ではなく、そこでも誰かに飯を作ることだ。直美の腹に向かって、吾郎は話しかける。「おーい、お前のおかあさん頼りになるな。強くてピリッとして、明るくて」
そこから、子の名前を「明(あきら)」に、という言葉が出てくる。明るい家、明るい未来。週のタイトルは、この場面から来ている。「私、子どもに名前つけられたって」と直美は嬉しそうに腹に向かって明と呼ぶ。名を贈られる側だった人が、贈る側になった。3月、出征が決まる。「向こうで絶対にとれないようにしないと」と直美は軍服のボタンを、ぐるぐるときつく縫いつける。
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やがて新聞が日清戦争の終結を伝える。吾郎が帰ってくると直美は喜ぶが、帰ってこない。戦争は終わったのに、吾郎のいる近衛師団はそのまま台湾へ渡っていた。場面は変わり、広島の病院。患者が運ばれてくる場面で、多江の目が大きく開く。その後、直美のもとに、吾郎の訃報が届く。台湾の岩場で転落し、広島の病院へ送られたが亡くなったという知らせだった。
知らせを受けた直美は、庭で明を抱いてあやしている。少し笑ってから、こう言う。「戦争、終わったのに死んじゃうなんてある? そんなこと。あるか。吾郎さんらしい」。そしてまた、少し笑う。問いを立て、言いよどみ、自分で答え、夫の人柄の話に着地する。4つの動きが、ひと続きの短い台詞のなかで終わる。りんは縁側にいて、何も言えずに直美を見ている。りんもまた、シングルマザーとして環を育ててきた。同じように子を抱えて働く女どうしであっても、夫を亡くしたばかりの直美と同じ気持ちになれるわけではない。かけられる言葉がないことを、りんはわかっている。
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遺品は出征のときの軍服だった。ボタンは、やはりとれていた。あんなにぎゅうぎゅうに縫いつけたのに、なんで。直美は笑う。そして直美は「明日から仕事に戻ろうと思います」と、りんたちに告げる。心配して反対されても、働いているほうがいいと答える。
りんは、「(直美が)家にこもるより仕事をするほうが痛みを逃がせるのかもしれない」と推し量る。大切な人を亡くしたとき、忙しくしていたほうが楽だという感覚には、覚えのある人も多いだろう。ただ、逃がしたところで消えるわけではない。時間が少しずつ薄めていくこともあれば、薄まらないまま自分のなかに残り続けることもある。
後日、多江が直美を訪ねてくる。吾郎を看護していたのは、彼女だった。死因は脚気である。辛かったはずなのに、吾郎は運び込まれてからもずっと明るかったという。だが、その翌日には呼吸が苦しくなる。多江はボタンを託されていた。
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「直美、ごめん、飯、作れそうにない。ああ、怒られそうだ。ピリッとして、優しくて、寂しがりのお母さんか。ああ、会いたかったな」
そう言って泣き、その夜に息絶えた。まだ顔を見ていない我が子ではなく、会いたかったのは妻のほうである。直美の強さも優しさも、そして寂しがりであることも、吾郎は誰よりわかっていた。多江の話を聞いた直美は「『怒られそう』だって。私のこと鬼みたいに」と涙をこぼしながら笑う。
吾郎は多江にもう1つ打ち明けていた。軍服のボタンがとれると直美は文句を言いながら真剣につけてくれる、それが見たくてつい引っ張ってはとれ、またつけてもらって嬉しかった。吾郎は多江にそう語っていたという。とれ続けたボタンは、偶然でも不注意でもなかった。妻の手を自分のほうへ呼び寄せるための、ささやかな細工だったのだ。
吾郎の軍服を手に「それ、つけてきてあげて。つけて帰ってきて」とりんは直美を送り出す。誰もいなくなった吾郎との住まいで、直美はボタンをつけながら泣く。ここでようやく、声をあげて心のままに泣くことができた。逃がしたはずの痛みが、2人で暮らした家で追いついてくる。歌いながら台所に立っていた吾郎の姿がよみがえる。その優しさは、軍人に向いていなかった。いや、戦争に向いている人など本来はいないはずだ。第23週「歩々清風」では、戦争を経た社会が看護婦という仕事をどう扱うのかが描かれる。
文/田幸和歌子
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